秋の夜にひとり


いつの間にか蝉の声を聞かなくなった。朝顔や向日葵が姿を消し、コスモスが微笑み始める。肌を刺すような陽射しの代わりに風が心地好く吹く季節。
夕焼けが窓ガラスを赤く染める時刻が日毎に早くなる。仕事を終え、帰路につく頃には暗くなり始める空が少し切ない。夏の頃には、まだ太陽のぬくもりが感じられたベランダの洗濯物が、今はひんやりとその名残さえとどめなくなった。
秋の夜にひとり ひとり分の夕食を手短に整える頃に、キッチンの小さな窓から見える公園で揺れていたブランコは、食事を終える頃には眠ったように動かない。子供たちの笑い声も聞えない。
その公園の向こうにあるアパートの窓には様々な色の灯かりがともっている。小さな鉢植えの並ぶ窓越しにそよぐカーテンの向こうには家族の団欒があるのだろう。

東の空には昇り始めた月が顔を見せている。地平線に近いところにある時は、オレンジ色に輝いて、さっき西の空に沈んでいった夕陽よりも大きく見える。じっと見つめていると月の中には誰かの顔が浮かびそうで・・・。その光はなぜか温かく柔らかく心に届く。

こんな夜には、窓を開け放った部屋の明かりを消して、一本のキャンドルに火をつけてみる。小さな炎は部屋の中心で静かに燃えながら光を放つ。見慣れた部屋の家具の影を放射状に広げてみせる。クリスタルの花瓶に生けた花の輪郭を、白い壁にさらに大きく映し出す。肩を寄せ合い境界を無くして、ひとつの個体のような姿で咲く影の花。
気に入って買ったのに、なかなかつける機会の無いまま置かれた香水の瓶が、一筋の光を集めて、壁に輝く星を作る。思い出したように蓋を開けると懐かしい甘い香りが部屋に広がり始める。
ソファに横たわり、囁くように小さく燃える炎を見つめる。その大きさは一定ではなく、時に大きく燃え、炎を高くしながら明るさを増す。溶けた蝋は、芯の真下に丸い小さな池を作り、やがて芯はその中に吸い込まれ、炎は小さくなる。溶けた蝋の中で溺れそうになるかと思えば、膨らみ過ぎた蝋は、堰を切り滝のようにキャンドルの下へと流れ出す。そしてまた炎は大きく燃え始める。それはまるで炎の呼吸のようだ。

ゆっくり目を閉じて深呼吸。。。瞼を閉じても光は見える。開けた香水瓶から漂う芳香が身体を包む。夜風が揺らすカーテンの向こうに、高く昇ったレモン色の月が見える。
夏が終わる前にたった一度だけ袖を通した浴衣がベランダで月の光を浴びている。そこに描かれた小さな兎達は、丸い月に向かって飛び跳ねながらはしゃいでいるようだ。今夜はそのままにしておこう。
小さくても明るく温かく、そして優しい夏の想い出は大切にしまっておこう。そんな風に私の秋の一夜は過ぎていく。ひとり静かに心を温めながら。。。




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