週末には花を買って


一人暮らしには、退屈すぎるほど慣れてしまったけれど、以前の生活には無かったものが、今ここにある。居所を移して、早いもので4ヶ月になろうとしている。以前の生活は、朝から深夜まで外で過ごしていた。部屋に戻るのは日付が変わってから。そこは眠る場所でしかなかった。毎日が忙しく流れて、その流れの中を漂うような生活。だから部屋に花を飾るなんて事を考えもしなかった。

週末には花を買って 少女の頃から花は好きだったのに。。。生け花をする母の傍らで、庭の手入れをする父の側で、季節ごとに様変わりする花達を眺めて育った。春、シロツメグサやレンゲの花を編み、首飾りや指輪を作り、オシロイバナや鳳仙花の花で爪を赤く染めて遊んだ日々が懐かしい。夏休みのラジオ体操の帰り道の花壇に咲いた真っ赤なサルビアは金魚のように可愛らしかったし、太陽に向かってすくすく伸びる向日葵と背比べもした。絵日記には朝顔の観察記録に押し花を添えた。秋の風に揺れるコスモスの群れの中でかくれんぼをしたり、お気に入りの散歩道だった河原で夕陽を背景にした彼岸花の鮮やかさに目を奪われた事もある。山茶花や椿の葉に初雪が留まると、まるで砂糖細工のように見えて、曇る窓ガラスを手で拭いて、飽きもせず見つめていた。

大人になって、生活に花というものが入り込む余裕が無くなっていた。時折、花を贈られても私以外に見つめられる事も無く、誰もいない部屋に置かれる花達が不憫でならなかった。切り花の命は短いから、できればその美しさは多くの人達に見つめられるべきだと思っていたから。。。
転居して、部屋で過ごす時間も長くなり、時間的にもゆとりが生まれると、何か物足りなさを感じるようになった。きっかけは、おすそわけして頂いた一輪のチューリップだった。「おひとりのお部屋は寂しいでしょう。」と淡い紫がかったピンクのチューリップ。それはまだ蕾で、すっと伸びた茎の先に瑞々しく咲いていた。当時花器を持っていなかった私は、小ぶりのグラスに水を張り、テーブルの上に飾った。新しい暮らしを始めたばかりの殺風景な部屋にその花は明るい色彩を与えてくれた。初めて金魚を飼い始めた子供のように目の前のチューリップを眺めて毎日を過ごした。たった一輪の花なのに毎朝表情を変えていく。開いた花弁の中には花びらと同じ色をしたおしべがあった。真上から覗き込むと、花の中心は星の形をしていて、放射線状に微妙なグラデーションがついている。こんなに注意深く観察した事があっただろうか?おおよそ一週間が過ぎた頃、その花は、はらりと一枚の花びらをガラスのテーブルの上に落とした。

その日、仕事を終えた足で一輪挿しを求めに行った。それから閉店間際の花屋で一本のユリの花を買い、新しい花器にそっと生けた。開いた花が2つ、緑色の蕾が2つ。部屋にユリの香りが広がった。その清楚な姿からは想像できないくらいにユリは生命力に溢れた花だ。蕾のうちのひとつは本当に小さくて、花開く事も無く枯れるかと思われたのに、先に咲いていた2つの花が散った後に今にも開きそうなくらいにまで膨らんでいた。なんだかその中に大切な宝物でも大事に仕舞い込まれているかのように思えた私は、そっと手を添えて、蕾が開くのを手伝ってみた。ラグビーボールのような形の蕾は3枚の花びらが縫い合わされたようになっていて、その中にさらに3枚の花びらが隠されている。翌朝、最後の蕾は、パッと開いていた。なぜか嬉しくて、部屋にいる時には時々見つめては、その姿が変化していくのを楽しんでいた。開いた当初は真っ直ぐな花弁も日が経つにつれ外側にゆるやかにカーブしていく。その優美な曲線が、なんとも上品で、まるで少女が淑女へと変身するかのようにさえ思えた。

ユリの芳香が消えた頃、可憐なガーベラを求めた。2本のピンクのガーベラは、太陽のように溌剌とした表情をしていて、思わずこちらの笑顔を誘う。仲良しの女の子が二人並んでおしゃべりしてるような雰囲気。白いカスミ草に囲まれて部屋に置かれた。しかし、元気だったガーベラもいつしか物憂い表情で首をうなだれるようになった。明るく瑞々しかった花びらも色褪せていた。衝動的に花を摘み上げると私は花占いを始めていた。二者選択の単純なゲーム。最後の一枚をむしり取った後に散った花びらが涙のように思えた。もう一本に伸ばしかけていた手を止めて、そのままにしていた。うつむいた花は泣いていたかもしれない。。。

花の命は短いけれど、それなら尚更にできるだけ長く見つめていたいと思う。無機質な物質の並ぶ部屋の中に命が存在するだけで、心が落着く事に気づいた。週末は花を買って部屋へ帰ろう。毎朝一番最初に水を換えて、窓を開け、朝の空気を一緒に吸い込もう。また今日も一日元気に明るく過ごせるように。




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