お気に入りの風景


週にたった一度だけ通る道がある。毎週車で走りながら目を楽しませてくれるその道は私のお気に入りだ。朝の通勤で車の列ができる国道から少し脇にそれると、車窓の景色は田園風景へと様変わりする。山を右手に川沿いの道を進むと、もう車の通りはまばらで、擦れ違う車も少なくなる。その道は通るたびに変化があって、季節の移り変わりを知る事ができる。
お気に入りの風景 春には道沿いにある民家の庭から一際白く輝いて見えるコブシの花が、いち早く顔を見せる。か細い枝に群れる様についた花は、最初は堅く握られた手のようにも洗い立ての真っ白なポケットチーフのようにも見える。それが暖かい陽射しの中でふわりと開く様は、純白の手袋をした魔術師の掌のようで、中から魔法が飛び出してそこから春が広がっていくような気になる。河原へ続く道に入ると川に平行して走る道の両側に一面の菜の花が咲いている。朝日に輝く小さな黄色い花たちは、春風にゆったり身を任せて小刻みに揺れていて、楽しそう。その黄色い絨毯の中を走っていると春の光を一身に浴びているようで、気持ちまで明るくなる。モンシロチョウが黄色い花の上をひらひらと踊るように飛んでいる。川の流れは穏やかで水は澄み、太陽の照り返しがキラキラとその水面で揺らいでいる。少し曲がりくねった道の向こうには、田園風景が広がり、川辺には小さな公園がある。公園にきちんと並んだ桜の樹は、見頃になるとまるで大きな薄紅色の雲のように枝いっぱいの花を咲かせる。

野辺に咲く草花の可憐さに比較すると、樹に咲く花には存在感がある。時々夜に逆の方向から同じ道を通る事があるが、夜の桜にはどこかしら幽玄な印象がある。車のライトにうっすらと照らされた桜の花は、暗闇にぼおっと浮き上がり、圧倒するような存在感で目の前に現れる。車も人も通っていない夜の道を走る時、時々誰かに見詰められているような気がして振りかえると、そこには大きな桜が静かに立っていたりする。私が生まれる何十年も前から同じ場所にいて、季節が巡るたびにその枝の下を通り花を見上げる人々を観察して来たのであろう桜の樹は、ひっそりと長い時の流れをその身体に刻んでいるのだろう。満開の桜の下を車で走ると、はらはらと花びらが風に乗り、目の前を舞って行く。桜の花は華麗で美しいけれど、こうして散り行く時はどことなく儚げで、大きな幹の先の細い枝に咲く小さな花のひとつひとつの可憐さを思う。

冬には雪の帽子を被っていた山々もそろそろ色を取り戻しつつある。まだ山の端から顔を出してからそう離れた距離にはない太陽の光を背にして、いつもの場所にあるその山の姿も私はしばらくの間、見つめる事ができなくなる。車の窓を開けて朝の空気を入れてみた。早春のまだひんやりとした冬の名残のする風の中に若草の香りを感じながら、最後のドライブを楽しむ。あの川の流れも四季を映す山肌も変わらずにいて欲しい。春の桜吹雪、初夏の緑のトンネル、秋の風に揺れるコスモスの群れ、晩秋に手を振るようなすすきの道と鮮やかに花開く彼岸花、寒椿や南天に止まる白い雪の映える冬の道、どれもこれも写真のように鮮やかに胸に焼き付いている風景。

またいつかこの道を通る時、幸せな気持ちでそれらを懐かしむ事ができるように、これからの私も少しずつでも成長していきたい。そしてまた、新しい街で見つけてみようお気に入りの風景を。




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