『想い出の夏−ちいさな友達−』


 あれは私が小学校5年生の夏だった。いよいよ明日から夏休み、終業式も終わっ て担任の先生から渡された通知表を手に帰宅しようとした昼下がりだ。校舎の中 庭のちょうどヘチマの花壇のあるあたりに男の子が座っていた。その肩ごしか ら「どうしたの?」と覗き込むと彼の両手には小さなスズメがいた。「これ.... 拾ったんだけど、どうしよう。」途方に暮れた顔で振り返った。「あ、これスズ メのひなだよ。まだ小さいね。」当時私は小鳥の飼育に凝っていて家にもよく慣 れた手乗り文鳥を飼っていた。しばらく考えたが、「わかった。私が連れて帰る よ。大丈夫。」「本当?よかったね、スズメさん。」男の子からようやく目が開 いたばかりのひなを受け取ると大切に家まで持ち帰った。
 「ただいま!」玄関に靴とランドセルを放り投げて台所へ駆け込んだ。「ほら、 お母さん、スズメの赤ちゃん!」両手を開いて見せると、「どこで見つけたの?」 と、母は意外そうだった。それまでのいきさつを説明し終わると母は、「じゃあ タローが去年使ってた巣や餌の道具を出さなくちゃね。」と、戸棚の上からひな 用の巣を出してくれた。まだ1才の桜文鳥のタローの前にひなを差し出した。「 ほら、お友達。タローはお兄さんだからいろいろ教えてあげてね。」毛色の違う ひな鳥を前にタローは首を傾げていた。夏の陽射しの中で地面に落ちていたスズ メは、元気がなかった。やっぱり水をあげなくちゃと考えた私は、ストローを使っ て水を飲ませた。それから巣にティッシュペーパーを敷いてそっと上 に乗せてあげた。そこでちょっと休ませている間にヒエや粟と青菜をすり鉢で練っ て餌を作り、割りばしをナイフで削って給餌用のへらを作った。そんな私の傍ら で去年の自分の姿を思うかのようにタローがじっと見守っていた。ひなのくちば しの横には黄色いちいさな柔らかい部分があって、そのおかげて口がパカッと全 開する。顔の半分以上が口になるからその真ん中目がけて餌を乗せたへらを押し 込むと喉がぐぐっと動いて餌が首の横の餌袋に入っていく。文鳥もスズメも同じ 構造だった。さすがに食欲はなかったが、それでも少しは食べてくれて安心した。 問題は、タローとの折り合いだが、そこはお兄さんの性格を信じるしかなかった。  夕方まで遊んで帰ってきた弟が、巣で眠っているスズメを見て、「姉ちゃん、 名前どうすんの?」と聞いてきた。二人でちょっとの間考えたが、「タローの弟 分だしジローにしよう。」と、安易に決めてしまった。(実際の所、鳥は成長し ないと雄雌の判別は難しいのだ。)

 翌日は、日曜日だった。いつもより早起きして、ジローの巣の蓋を開けた私は 青ざめた。「お父さん、お母さん、ジローが大変!」驚いた顔の父が「一体どう したの?」と起きてきた。「ジローの目が片一方しか開いてないよ。どうしよう.. ...。」「どれどれ。」覗き込んだ父はしばらく考えて、「栄養が足りないのかな? ミミズでもやってみようか?」と、提案した。それから庭で父と私と弟の3人で 必死にミミズを探し始めた。石の下を掘ったり、植木鉢をひっくり返したり、庭 中に小さな穴ができた。「あ、いたいた。」父が10cm程のミミズの捕獲に成功し た。それではさっそく料理しようと、いうことになったが、私はなんとなく気持 悪くて父と弟に任せた。調理の終わったミミズをジローに与えて「早く良 くなるといいね。」と祈った。昨日よりは食欲の出たジローが長い欠伸をするよ うに首をぐるぐるっと、回して顔を身体にちょっとこすりつけると、なんとふさ がっていた目が開いていた。「ひょっとしたら目やにが出てくっついていただけ かもよ。」母親がやれやれという表情で私達を見回した。「な〜んだ。」父が笑っ た。私も弟も笑った。笑いの渦の中にきょとんと丸くて黒い目を見開いたジロー がいた。

夏の思い出  それからジローはすくすくと成長した。トゲトゲに近かった羽根も生えそろっ たし、くちばしの横の黄色い部分も小さくなってきた。なによりも助かったのは 先輩のタローがよく面倒を見てくれたことだ。彼は間違いなく雄なのに自分で食 べた餌を消化してジローに与えたり、一緒に遊んだりもした。「タローはいいお 父さんになるね。」子供ながらに感心してしまった。ジローは、なんでもタロー のまねをするので、すっかり手乗りになってしまった。スズメは野鳥だからいつ でも自然に返せるようにと羽根は切らずに庭に放したりもしたが、一向に逃げる 気配すら見せなかった。
 私と弟が2階の自分達の部屋で夏休みの宿題をしていると、ピューッと飛んで きて机の前にちょこんと着地し、開いた手のひらに自分から乗って来るほどジロー は甘えっ子だった。しかし、風切り羽根を切っていたタローは、そのあとからト ン、トンと一段づつ階段を登って来ていたのだ。「気は優しくて力持ち」それは、 まさに彼のために作られた言葉なのではないかと思われた。

 夏休みに旅行やキャンプはつきものだ。私達はフェリーに乗って1泊で海岸に キャンプに出掛けることになっていた。当初の計画にジローは入っていなかった。 「もしもどこかで逃げてもいいから一緒に連れて行こうか。」という父のひと言 で、私達家族(4人と2羽)全員で車に乗って出発した。元々タローは外に出し ても飛んで行かないので、フェリーの中ではタローもジローもカゴに入れずに肩 の上に乗せていた。船酔いする事はないと思うが、ジローは手のひらでぐっすり 寝ていた。目的地について父とテントを組み立てている間は、砂浜でタローとジ ローは一緒に遊んでいた。文鳥とスズメの違いと言ったらスズメが砂浴びをする ことくらいだ。あちこちで思う存分砂浴びができるのでジローは、はしゃ いでいるように見えた。
 ようやくテントの準備が終わって休憩時間。ふと後ろを振り返った。白い砂の 上にちょこんとタローが立っている。強い陽射しに黒い頭はつらそうだ。「休憩 する?」と、指を差し出すとピョンと飛び乗った。「あれ?ジローはどこに行っ たの?」50mほど先にピョンピョン上下する茶色い頭が見えた。立ち上がって迎え に行こうかとする私を母がさえぎった。「もう少し様子を見てみましょう。ジロー にとっては自然に帰ることが一番なんだから。」と。しばらく二人で小さな後ろ 姿を見ていた。沢山のスズメの群に紛れてしまえば、どれがジローなのかわから なくなるのかな?その答えは「No」だった。どこにいたってジローはジローだ。 頭の形だって羽根の微妙な模様だってもうすっかり覚えてしまっていた。 このまま飛んで行ってしまえばもう会えないのかな....。そう思った時ジローが 翼を広げて飛び上がった。そして真直ぐにこっちへ舞い戻った。タローが休憩す るならボクもってそんな感じで明けっ放しの鳥かごの中に入っていった。「それ じゃあ食事の準備をしようか?」母は立ち上がった。なぜだか私はほっとしてゆっ くり母の後を追った。
 結局帰りのフェリーにもジローは同乗していた。私も弟も海水浴ですっかり真っ 黒に灼けていた。「ジローと同じような色になっちゃったね。は、は、は....。」 と白い歯を見せて弟が笑った。「みんなお揃いだよね。」楽しい夏の休暇を帰宅 したら絵日記に書いておこうと思った。
 楽しい時間は過ぎるのが早い。気が付けばあんなにうるさかった蝉の泣き声も アブラゼミからヒグラシやツクツクホウシに変わっていた。「2学期が始まった ら、ジローを見つけてくれた男の子に報告してびっくりさせなくちゃ。それから スズメってこんな特徴があるんだよってみんなに教えてあげたいな。」学校が始 まるのを楽しみにして眠りについた。

   新学期が始まり、またいつもの生活に戻った。夏休みの絵日記にはジローと過 ごした夏の思い出がいっぱい詰まっていた。家に帰ればタローとジローがいるの が当たり前になっていて、外で一緒に遊ぶのが楽しかった。そして季節は徐々に 秋へと移っていった。
 それは、ある日曜日。子供会の小旅行で、栗拾いに行くことになっていた。外 は灰色の曇り空だった。いつものように目覚めて居間に行き、鳥かごを覗いた。 そして下に倒れているジローを見つけた。私の様子に家族のみんなが気が付いた。 私の手の上のジローには、まだ息があった。しかし自分で立ち上がることはもう できなかった。頭を持ち上げることさえ....。家族のみんなが見守る中、「くぅ.. .」と、声にならない声で啼くとぐったりとなった。両手で包んだ小さな身体は、 まだ温かいのに....なぜもう動かないのか、その理由は痛いほどわかっていた。 目の前がかすんで、ジローの姿が歪んで見えた。弟が私の手のひらからジローを そっと取り上げ、頭を撫でた。名前を呼んでも答えは無いのに何度も繰り 返し呼びながら......。それは悲しい朝だった。
バスの出発時間が迫っていた。しかし私達姉弟は座ったまま動こうとしなかっ た。父が「ジローのお墓を作ろうね。」と言って庭に小さな穴を掘った。硬直し てしまった小さな身体を丁寧に包んで土へかえした。「今日はどこへも行かない。 」と言う私に母が、「いつまでも泣いていてもジローも悲しむだけよ。さあ、行 きましょう。」と促した。
 バスに乗り込み目的地に向かう途中で雨が降り出した。車窓を流れる雨の雫を 目で追いながら考えるのはジローと過ごした想い出ばかりだった。手の中に入っ たまま一緒にお昼寝したことやカーテンを伝わって天井近くまで登るのが好きだっ た事、楽しそうに砂浴びをする傍らで水浴びの嫌いなタローが不思議そうに見て いた事、地震が来た時、タローに誘導されてテーブルの下に隠れた事.......悲し い想い出など何ひとつなかった。
 目的地に着いた時も雨は降り続いていた。私の頬の上でそれは涙と一緒になっ た。「栗の毬(イガ)をこうして足で押さえて....」と、おじさんが説明をして いた。私達の足下には栗の入ったトゲトゲの毬が落ちていた。その中には茶色の 栗が仲良く並んで座っていた。大きいのや平たいのや大きさや形は様々だ。じっ と見ているとその姿がなんとなく、巣の中で丸くなっているジローの様に思えて きた。みんなが捨ててしまう毬のついたまま家に持ち帰り、新しいお墓の前に供 えた。

 夏と共にジローはいなくなってしまったけれど、一緒に作った想い出はいつま でも心に残った。ジローとの共同生活が役に立ったのかその後タローは本当にい いお父さんになったし、私達家族も命の大切さについて学んだと思う。人間だけ かもしれないね、毛色が違うと言うだけで受け入れないのは.....。楽しかったよ、 ありがとう。そして短かったけれど、あなたの一生も幸せだったとそう信じてる。

<おしまい>




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