雨の風景


春から夏へと移行する前に私達は梅雨という特別な時期を過ごさねばならない。春雨は優しく花や草木に潤いを与えるようなイメージがあり、夏の夕立やにわか雨は、一服の清涼剤のように思われるのに対して、しとしとと続く長雨は歓迎されないものだ。特別雨が嫌いではない私でさえ久しく太陽の顔を見ないと気持がなんとなく沈みがちになる。でも雨には雨の良さがあるのも事実だ。

雨は特有の雰囲気を持っている。深く考える時には雨の日の方がいい。カラッと晴れた青空がどこまでも広がり、雲の輪郭が際立つような日に人生や運命などについて考え込もうという気にはなれない。なぜだか雨は外界から遮断された空間を作り出してくれ、それが思考を巡らすのに最適な環境を与えてくれる。梅雨の雨の日が続く時期には、雨の思い出を反芻したりする。

雨の風景 学校の帰り道、新しい長靴でわざと水たまりに入って遊びながら帰ったこと、雨上がりの虹を自転車で友達とどこまでも追いかけたこと、色鮮やかな紫陽花の葉に小さなかたつむりを見つけてはしゃいだこと....。思えば子供の頃はそれなりに雨の季節を楽しんでいた。
遠くから通り雨に追いかけられて、自転車で必死に逃げたこともあったっけ。乾いた車道と濡れた舗道の境目が不思議で仕方無かった。
少し大人に近づく少女の頃、彼と一つの傘に入った。それでも二人の間にはほんの少しの距離があり、彼の肩は雨で濡れていた。二人で道を歩いていても雨のカーテンが周囲の景色から私達を隔てているような感覚になった。
突然のシャワーに二人で全速力で駆け込んで雨宿り。彼が小犬のようにプルプルと頭を震わせると小さな水滴が宙を舞った。陽に灼けた笑顔が眩しかった夏の夕暮れ。
会いたくても会えない夜に窓辺に座り、窓を流れる雨のしずくを数えながら耳を澄ました日もあった。聞き慣れた靴音やノックが雨音に消されないように。
濡れた窓ガラスに頬を寄せると、冷たい感触が切ない夜もあった。
霧雨の中を傘もささずに歩きながら、水銀灯が雨のスクリーンに映し出す、まあるい光の輪や霞む街の景色を眺めた事が思い出されたり..........。

楽しい雨、センチメンタルな雨、メランコリックな雨、切ない雨、悲しい雨.....雨は、その時々の私の心を映して様々な表情を見せる。普段は忘れていたことも時々思い出させてくれる。
誰かが言った「降りやまない雨はない。」と。そう、それは真実。それに雨上がりの風景は汚れをさっぱり洗い落としたようにすっきりしている。見慣れた町並みもみずみずしく見せてくれる。だから私もまた歩き出そうか。晴れ間の覗くあの空のどこかに虹を見つけに行くために。





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